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宮城・仙台のおすすめ観光? ミステリースポット 「縛り地蔵尊」

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宮城県にもミステリースポットがありますよ。

見た目にインパクトのある場所から、ちょっとした珍スポットまで色々ですね。

たまにはちょっと変わったところを見に行くのも面白いと思いますよ。

宮城・仙台のおすすめ観光? ミステリースポット 「縛不動明王」 | セミヤログ (sendai-miyagi.com)

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広瀬川にある縛り地蔵!?

はじめから謎満載のミステリースポットですね。

Google Mapsでも確認できますよ。

広瀬川沿いの団地のそばにある祠に縄で縛られたお地蔵様が祀られています。

 

 

仙台は伊達藩という大きな藩でしたので罪人を裁く刑場もいくつかありました。

その内の一つがこの縛り地蔵が祀られている米ケ袋です。

 

この縛り地蔵尊の由来は、

伊達騒動の最中、奸物伊達兵部宗勝を討たんとして捕えられた烈士伊東七十郎重孝は、寛文8年(1668年)4月28日米ケ袋の刑場で斬罪に処せられたが、その土壇場まで堂々と振る舞い「三年以内に兵部殿を亡き者にして見せる」と云い残して予告通り仰向けに仆れたといいます。

果たして兵部一派は三年後の寛文11年に悪行が暴かれ悉く滅びてしまったのです。

この地蔵尊は、正義のために非業の死を遂げた七十郎の供養のために建てられたと伝えられており、”人間のあらゆる苦しみ悩みを取り除いてくれる”と信じられ、願掛けに縄で縛る習わしから縛り地蔵尊と云われています。

この縄は毎年1回だけ縁日に解かれます。

例祭 7月23日~24日

と看板に書かれています。

 

伊東七十郎重孝の処刑後、彼の遺体は向かいの誓願寺(愛宕神社の別当寺)に運ばれました。そのため、愛宕神社には伊東七十郎の碑が建てられています。

 

縛り地蔵尊の場所は?

縛り地蔵尊が祀られている場所は仙台市青葉区米ケ袋です。

 

伊達騒動とは?

「伊達騒動」とは、江戸時代前期に仙台藩で発生したお家騒動の一つです。この騒動は、伊達綱宗という藩主が放蕩が過ぎて隠居を命じられ、その後2歳の亀千代(綱村)が藩主として跡目を継いだことから始まります。しかし、幼い亀千代の代理として権力を握るべく、伊達藩内で対立が生じました。

伊達藩内の対立は、伊達兵部宗勝(伊達綱宗の叔父)とその支持者である家老の原田甲斐宗輔が、藩を乗っ取ろうと試みたことから激化しました。これに対抗しようとしたのが伊達安芸宗重で、彼は幕府に訴えました。その結果、大老の酒井忠清が介入し、伊達安芸宗重側が勝利しました。伊達兵部宗勝は土佐に流され、伊達騒動は伊達安芸宗重側の勝利で幕を閉じました。

この騒動は歌舞伎や浄瑠璃などの舞台のモチーフとしても知られており、当時の出来事が後世に影響を与えたことを示しています。

一方で、伊達騒動の中で注目すべきエピソードとして、仙台藩士の伊東七十郎による伊達兵部宗勝の暗殺計画があります。しかし、この計画は失敗し、七十郎は捕まってしまいました。彼は33日間絶食し、最終的に米ケ袋の刑場で首をはねられました。伊東家は一族郎党ともに切腹、流罪、追放の運命をたどりました。伊東七十郎は享年36歳でした。

伊東七十郎のエピソードは、彼の強い意志と忍耐力を示すものであり、首を切られる際にも冷静さを保ち、伊達兵部宗勝への復讐の誓いを立てたことが記録されています。このエピソードは、彼の不屈の精神を讃えるものとして伝えられています。

伊達騒動は、藩内の権力闘争と個人の忍耐力、そして歴史的な舞台としての興味深さから、今でも日本の歴史や文化において注目される出来事の一つです。

 

伊東七十郎の眠るお墓

伊東七十郎の眠るお墓が連坊にあります。

Google マップ
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口コミに詳しい情報を書いてくださっている方がいらっしゃいました。

Moli Lizhi (茉莉茘枝)
ローカルガイド · 397 件のクチコミ

4 年前

ここに忠義の士、伊東七十郎 重孝が眠る。 伊達騒動で知られる寛文事件で仙台藩3代藩主綱宗に伊東七十郎は強制的に隠居させられます。 その後、藩の実権を握り、仙台藩を乗っ取ろうと計画したとされる伊達兵部宗勝を誅殺しようとして失敗し伊東七十郎は捕らえられます。 伊東七十郎は1668年(寛文8年)4月28日、仙台の米ヶ袋誓願寺河原にて斬首されます。 1671年、涌谷の伊達宗重の訴訟により仙台藩をめぐる陰謀が明るみに出ます。 宗勝や原田宗輔たち兵部一派が滅ぼされるに及び、重孝の忠が称えられ、仙台4代藩主伊達綱村は伊東家の再興を認めます。 伊東七十郎の辞世の句がのこっています。 その辞世の句のとおり、三年内に宗勝や原田宗輔たち兵部一派を滅びました。 当初、墓には「罪人」と刻まれていて、汚名がはらされた後に「罪人」という文字が削られ法名が刻まれたといわれています。 そのために、墓石にへこみがあるといわれているがその形跡は見つけられなかった。 また、伊東七十郎重孝の墓は二つあるそうです。 ——————————————– 伊東七十郎辞世の句碑 人心これ危し 道心これ微なり これ精これ一まことその中をとる 古語にいう身をば危すべし志をば奪うべからず 又云殺べくして恥しめべからず 又云内に省てやましからず是予が志なり 食を断って三十三日目に之を書なり 我が霊魂三年の内に滅すべし

重孝神社

伊東七十郎重孝氏を祀る神社が石巻にあります。

NHKの時代劇『樅ノ木は残った』の放送にあわせてつくられた伊東氏を祀る神社ですが・・・Google Mapsに寄せられた写真を見る限り、手入れはされていないようです。

どなたが作られた神社なのかはわかりませんが、この惨状はつらいですね。

2018年でこの状態です。

Google Mapsには2023年8月に投稿された写真がありますが、看板も朽ち果ててもはや字も読めないほどになっています。

ドラマにあわせて建てられたということですが、きちんと祀り続けないとだめな気がします。

 

まとめ

ちょっと変わった観光地ということでミステリースポットをご紹介しました。

縛り地蔵ということでインパクトの有る場所でしたが、由来を調べていくと烈士 伊東七十郎重孝氏にたどり着きます。

一時期は罪人という扱いでしたが、その後無念がはらされ、伊東氏を貶めた伊達兵部宗勝一族は裁かれました。

伊達藩を乗っ取ろうと暗躍した奸賊伊達兵部宗勝を討とうとした伊東氏は、伊達家の将来を憂えていました。

その伊東氏を祀る縛り地蔵尊は”人間のあらゆる苦しみ悩みを取り除いてくれる”ありがたい由来があります。

付近を散歩する方や河原で遊んでいる子供たちもよく見かける場所ですのでなかなか縄を持って縛りに行くのもハードルが高いですが、悩みや柵で苦しんでいる方はお参りすることもおすすめですよ。

 

宮城・仙台のおすすめ観光? ミステリースポット 「縛不動明王」 | セミヤログ (sendai-miyagi.com)

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